リーダーシップ往復書簡 014
リーダーシップ往復書簡 014
私は、マネジメントを経営管理など「人を管理するスキル」、リーダーシップを主体性・夢や共感など「人を導くスキル」と定義し、大別して説明しています。
今後、人工知能などのテクノロジーの進化によって、この2つに大別したマネジメントとリーダーシップの重要度はどのように変わっていくでしょうか。
私は、リーダーシップは、マネジメントよりも、遥かに重要性が増していくと考えています。
理由は簡単で、テクノロジーの進化によって、マネジメントは効率化が進みますが、同時に、一般化・コモディティ化も併せて進むからです。
結果、同じ競争している事業者同士の間ではマネジメントは大した差別化要因にはならず、リーダーシップの優劣こそが成功の決め手になるのではないかと思います。
合理化された世界では、一見、非合理的なことこそが差別化要因であり、成功要因になるのではないかと思います。
(逆に言えば、合理化された世界になる過程で、進化したテクノロジーそのものを独占したり、テクノロジーによって効率化されたマネジメントを独占したりすれば、莫大な富を得ることができるでしょう。)
リーダーシップについて疑問がある、質問をしたいという方がいらっしゃいましたら、コメントや個別にメッセンジャーでご連絡ください。
また、コメントも大歓迎です。もし興味ある人がいれば、これを酒の肴に一杯やりましょう!
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【Q.14】
前回の【リーダーシップ往復書簡 013】において、「・・・その人たちに本来備わっているリーダーシップ・・・」という表現がありました。
私も、直感的に、ほとんどの人は、本来備わっているリーダーシップが発揮できていないと思います。
これはなぜなのでしょうか?
<コメント>
まず、本来、リーダーシップが人に備わっていることについては、異論や違和感はないでしょうか?
私もこれについて知識を持ち合わせていないため、科学的な説明ができないのですが、少なくとも私が2歳になる自分の娘を見ている限りでも、そもそも人にはリーダーシップが備わっていることを感じさせます。
具体的には、ゴミが落ちていたら拾い、友達が泣いていたら慰めに行き、そして、誰かと一緒にアレコレしたいと主張をします。人間が持つ社会性の一端なのかもしれません。”リーダーシップの萌芽”と言ってもいいかもしれませんが、幼児であっても、私の考えるリーダーシップに近い行動をしていると思います。
次に、今回いただきました質問です。
では、なぜ(大人になったら)ほとんどの人はリーダーシップが発揮できなくなってしまうのか?
これは「人は性善なれど弱し」という人間の特性から、ごく限られた人しか、リーダーという役割を選択しないことが原因だと思います。
以前私が書いた「リーダーと考える経営の現場・第4回 人は性善なれど弱し」から、「人は性善なれど弱し」に関する説明部分を抜粋します。
「人は性善なれど弱し」とは、一橋大学名誉教授の伊丹敬之氏が「性弱説」と表現した言葉です。全ての人は性善であるが、弱い存在であるという価値観です。
一般的に、リーダーとは「性善でいて、強い」人が担う役割です。そのため、多くの人からすれば、リーダーという役割は、とても険しい道を行くもので、「性善なれど、弱い」自分のものではないと考えるのではないでしょうか。
また、リーダーシップの程度もあると思います。世の中を変えるようなことから、先ほどの娘の事例のように、ちょっと落ちているゴミを拾って捨てるというようなことまで、リーダーシップの発揮対象には大きな幅があります。
大人になると、社会的なインパクトが小さいことであったり、フォロワーとしてのリーダーシップの発揮(※必ずしも組織上のトップの人間だけがリーダーで、リーダーシップを発揮すればいいというわけではない。)であったりはあまり評価されないようにも思います。
そのため、リーダーシップは身近な範囲で発揮されているにも関わらず、それが多くの場合は見過ごされているように思います。
※この記事は、2019年11月24日付Facebook投稿を転載したものです。