リーダーシップ往復書簡 040
前回に引き続き、リーダーとして向き合わざるを得ない、正しさや倫理観について共に考えたいと思います。
リーダーとは、気を強く持たなければ、いつダークサイド(暗黒面)に堕ちるか分からない危うさと隣り合わせだと思います。
なぜそのような危うさがあるかというと、リーダーの周辺には、目的のため、フォロワーのためなど、様々なもっともらしい言い訳があふれているからです。
なぜ組織のトップによるハラスメントが起きるのかというと、その多くは、自分はフォロワーに貢献しており、少しぐらいのわがままや甘えが許されると考えているからだと思います。
自分ばかりがフォロワーのために頑張っているという被害者意識や、自分はフォロワーとは違って選ばれた存在である傲慢さが、このようなことを引き起こすのだと思います。
これに対して、ノーブレス・オブリージュ(高貴なる義務)は、傲慢な考え方でもある一方、正しさや倫理観などへの規律やプライドを感じる言葉です。やはり先人はよく考えていると思います。
リーダーが、一度、ダークサイドに堕ちてしまうと、自分の力だけで元に戻るのは極めて難しいものです。多くのケースでは、ハラスメントもエスカレートしますし、一線を超えた行為はますます過激化します。なまじ自己正当化する材料があるだけに、自分では制御できないのです。
私は人の弱さを認識しているからこそ、常日頃から正しくありたいと考えています。私はよく周囲の友人・知人から正義感が強いと言われるのですが、自分で思っていることは逆で、一度でも間違ったことをすると歯止めが利かなくなるのではないかと心配しているだけなのです。
リーダーシップについて疑問がある、質問をしたいという方がいらっしゃいましたら、コメントや個別にメッセンジャーでご連絡ください。
また、コメントも大歓迎です。もし興味ある人がいれば、これを酒の肴に一杯やりましょう!
<コメント>
それは、一見、普通の人のようには見えないリーダーを含めて、「人は性善なれど弱し」だからだと思います。
毎日ニュースでは悪いリーダーばかり報道されているように思いますが、もちろん世の中には良いリーダーも沢山いると思います。
私も経営の仕事を長らくしていますが、組織の地位や権限など「パワー」のコントロールは本当に難しいのです。
今の世の中は、マネジメント・スキル偏重で、短期的な成果や効率を重視した結果、「パワー」に重きを置きすぎているように思います。
もっとリーダーシップ・スキルを意識して、夢や共感の力などで人が動くようになれば、悪いリーダーの淘汰が進むものと思います。
社長というだけで、上司というだけで偉いという考え方は、傲慢以外の何物でもありません。「パワー」を持つためには、それに適う人格や人間性がなければなりません。
「パワー」を持つ人を選ぶ、選抜プロセスについても改良が必要なのだと思います。大企業などでは積極的に議論がされていますが、次期経営者の選抜プロセスに外部人材からのチェックを入れるなど様々な取り組みがなされています。
前回も記載をしましたが、悪いリーダーも、常日頃から悪いわけではなく、追い込まれたときに悪くなるわけです。胆力がないと言えばそれまでですが、緊急時や修羅場においても、正しく倫理的な判断ができるリーダーにならなければなりません。
※この記事は、2020年7月11日付Facebook投稿を転載したものです。